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シーズン中は、スノーボードのことを中心に書きます


by taroshin_1
この前フォトリーディングの講座を受けて、あらためて意識と潜在意識について考えさせられた。

自分では意識していないのに、潜在意識に情報を直接インプットできるなら、なんで意識というものがあるんだろう。意識って何なんだ?

『錯覚する脳』によると、意識というのは単なる錯覚に過ぎない。筆者は「受動意識仮説」という説を唱えている。潜在意識(無意識)がぼくたちが何をやるかを全部決めていて、意識というのはあとでそれを自分が決めたと勝手に勘違いしているだけの存在だという。

 前野隆司『錯覚する脳』

「受動意識仮説とは、『「意識」とは「無意識」下の自律分散的・並列的・ボトムアップ的・無目的的情報処理結果を受け取り、それをあたかも自分が行ったことであるかのように幻想し、単一の自己の直列的経験として体験した後にエピソード記憶するための受動的・追従的なシステムである』というものだ。
 つまり、機能的な「意識」は、「無意識」下の処理を能動的にバインディングし統合するためのシステムなのではなく、既に「無意識」下で統合された結果を体験しエピソード記憶に流し込むための追従的なシステムに過ぎないと考えるのだ。」(p.46)


脳科学者池谷祐二の『進化しすぎた脳』にも同じようなことが書いてあった。ある実験で、被験者に「好きなときにボタンを押してください」と伝えて脳をモニタリングしたところ、先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それから1秒ほども経ってから「動かそう」という意識が現れたらしい。ボタンを押したのはあくまで無意識で、意識は後でそれを見ていただけということになる。

この話をそのまま真に受けると、人間には何の選択の余地もないとうことになる。ぼくらの行動に意識が関与しないとうことであれば、意識は、無意識によって行われたことを後で映画を見るようにスクリーン上で見るだけの働きということになる。

でも例えばこういう場合はどうなんだろう。だれかに言葉で「そこのボールペンとって」と言われたとする。この場合、言葉を理解するのは、無意識ではなく意識のほうだ。相手の依頼を頭で理解して初めて、相手にボールペンを渡すというアクションにつながる。意識が無意識のほうに「ペンをとる」という情報を渡したから、無意識のほうはペンを渡すというアクションを取れる。まさか、相手に依頼される前から、無意識のほうはボールペンをとろうとしている、なんてことはないだろう。

だから一応、意識が情報をキャッチして、その情報を元に無意識のほうが行動を起こすということはあるはずだ。アクションはたしかに無意識→意識という順番で行われるとしても、アクションの起点である無意識にたいして、意識が影響を及ぼせるということだ。

だから、意識が単なる錯覚なんだというのではなく、意識から無意識にどう情報を渡すかという点で、意識じゃなく無意識が主体なんだ、ということを意識するとのいいのかな、と思う。

たとえばスノーボードで、いろいろと言葉で考えて「こうしよう、こうしよう」と意識でコントロールしようするとうまくいかない。逆に意識でコントロールしようとせず、自分の感覚(例えば足裏の感覚とか)に集中するとうまくいったりする。

そう考えると、意識というものの主たる役割は、「フィードバック」機能なんじゃないだろうか。たしかに意識は、無意識に対して指示を出すこともできることはできるが、それがあまり得意じゃない。だからスノーボードでも、頭でいろいろ考えすぎるとぎこちない滑りになる。逆に、意識が自分の本来の機能であるフィードバックに徹すると、うまくいったりする。

会社に例えて、意識が上司で、無意識が部下だと考えれば分かりやすい。指示は上司が出すが、実際に手を動かすのは部下だ。問題は意識から無意識への指示の出し方だ。上司(意識)が仕事の具体的なやり方までいちいち細かく指定したりすると、部下(無意識)はポテンシャルを発揮できない。逆に、何のためにやるのかとか背景情報とかアウトプットのイメージとかを伝え、実際のやり方は任せてしまうほうが、部下(無意識)はいい仕事ができる。コーチングというのも、要は、上司は部下への指示機能ではなくフィードバック機能をはたそうよという話だろう。

フィードバックが重要だとは思っていたけど、それを人に頼らず、自分で自分にやってあげられれば、それに越したことはない。だから、そのために意識があるのかな、とこの本を読んで思った。

関連エントリ:
 フィードバック
 無意識を作りこむ
# by taroshin_1 | 2007-08-29 01:50
久しぶりの更新。
スノーボードシーズンが終わって、しばらく更新が途切れてしまった。

このブログはほぼスノーボードブログにしていたが、あまりテーマにこだわらずに書こうと思う。


この土日でフォトリーディングの講座を受けてきた。

ぼくは読書が好きなわりには読書スピードが遅い。フォトリーディング以外にも、他の速読法なども検討したのだが、目の動かし方の練習とかをやるっぽくて気乗りしなかった。フォトリーディングには、その謳い文句から、他の速読法よりも劇的に速くなる可能性を感じた。半眼(ソフトアイ)で本を読むというところにも、座禅などに通じる何か深いものがあるんじゃないかという期待感も感じた。

実際講座を受けてみて、狭義のフォトリーディング(ソフトフォーカス=目の焦点を本にあてないで、高速にページをめくる部分)を除けば、広義のフォトリーディングの手順は合理的な本の読み方だと思った。読む目的を決め、目次を読み、ざっとキーワードを拾って質問を決める。その質問の答えを探しながらさっさと目を通していき、必要な部分のみを読む。読みながらメモ(マインドマップ)を作る。

本を最初から最後までじっくり読むことは、たしかに効率が悪い。一冊の本の中で自分が必要としている情報はそんなに多くはない。だから優先順位をつけて、優先順位の高いところだけ読めばいいというのは合理的な考え方だ。フォトリーディングの手順が強制ギブスとして働くので、無理やり効率のよい読書になる。時間を区切られていることの効果も大きい。各ステップの時間が決められているので、無理やりその時間内に終わらせようとする。それによって、否が応でも自分にとって本当に重要そうな部分のみに集中する。こういう読書法は、立花隆司や斉藤孝などの速読法とだいたい同じ考え方だ。

問題は、狭義のフォトリーディング、ソフトフォーカスでページを捉えながら、見開き1ページを1秒でめくっていく部分だ。目的を決めて目次に目を通したあとに、周辺視野で本をぼんやり眺めながら、高速にページをめくっていくのだ。

通常、人間が情報を認識して記憶する際は、外界→顕在意識→潜在意識というルートで情報が埋め込まれる。しかし、フォトリーディングの考え方は、顕在意識を通り越し、外界→潜在意識、と潜在意識に直接情報を埋め込んでしまうというものだ。狭義のフォトリーディングをするときは、文字情報が意識に入らないようにぼやけた状態で本を見なければいけない。本人は意識上では、その本の内容について何も理解していないのにも関わらず、潜在意識には入っちゃってますよ、ということなのだ。

ぼく自身は、これはありえないことではないと思う。サブリミナル効果の話でも、意識上ではスクリーンに一瞬映し出されるコカコーラを認識していなくても、コカコーラが飲みたくなったりすることは実験で証明されている。無意識のインプットが意識に影響を与えることはありえる。

ただ、コカコーラの場合はコカコーラの映像という単純な「イメージ」だったのに対して、本の場合は1ページに数百文字で表現された「概念」の集合体だ。「イメージ」が潜在意識と相性がいいのは分かるが、「概念」というのはどちらかというと顕在意識の得意分野な気がする。もしフォトリーディングによって、少しでも本の内容が潜在意識に入っているならば、本の内容や文中のキーワードに対して既視感(デジャヴ)でも感じそうなものだ。ぼくの場合、信じる心が足りないのか、そういったことは体験できなかった。 潜在意識というのは、パカッとフタを開けて中身をのぞけないがゆえに「潜在」意識だ。そこに本の内容が入ったか否かは証明しようがない。入っているかもしれないし、入っていないかもしれない。できることは、入っていると信じることだけだ。

とはいえ高速でページをめくることで、
①次のステップで読み返す際に勢いがつき、実際に早くなる
②潜在意識に入った(かも)というブラセボ効果で集中力アップ
という効果は少なくともある気がする。

まあ、効果のありなしに関わらず、1ページ/秒だから、かかる時間は200ページの本で3分ちょっとだ。効果がある可能性はあるので、しばらくは試しにやってみようかと思う。

実は、この講座で一番よかったのは、マインドマップの描き方を目で見て学べたことだ。マインドマップは、「リアルタイム」の手法だということが分かった。本を読んだ後に後で思い出しながらまとめるものではなく、読みながらサッサと描いていく。講師の方がそれを実演して見せてくれたことで初めてそれが分かった。百聞は一見にしかずだ。

この講座を受ける前から、速読関係の本を読んだり、フォトリーディングの本も読んでいたが、行動につながらなかった。今回、高い金を払って学ぶ「場」に身をおくことで、実際にフォトリーディングを試してみようという気になった。実践につながる(or つながりそう?)という意味で、こういう講座を受けてよかった。

何ごとも試行錯誤だ。とりあえずは、この読書法をためしてみることにする。
# by taroshin_1 | 2007-08-20 23:38
先週の日曜日は、また、たんばらに行った。近くて気楽に行けるし、キッカーは安全設計だし、この時期はやっぱりたんばらがいい。

どうやら腰は今シーズン中には完治しなさそうだ。
今回もキッカーはストレートジャンプだけにした。ストレートしか飛べなくなったことで、基本を見直す良い機会になった。


●抜け

前回自分が早抜けだったことが分かったので、リップギリギリでの抜けを意識した。リップギリギリで踏み切ると、高さと距離が今までとぜんぜん違う。いままでと違う空中での視界にビビッてしまい、足の引きつけとか基本的なところもできなくなったりした。今までの抜けがどれだけ早かったかが分かる。抜けに関しては、完全に最初からやりなおしだな。


●グラブ

あらためてストレートエアーのグラブを見直すことにした。スピンでグラブに挑戦とかしているが、実はストレートでも安定してグラブがつかめていない。インディーくらいなら問題ないが、他のグラブになると、つかめたりつかめなかったりだ。

なんでグラブが安定しないのか考えて、去年溝のワンメイクキャンプで、グラブにいくのが早いと指摘されたことがあるのを思い出した。

それで、リズムを作って飛ぶことを考えた。
トン、トン、トンというリズムで、抜け、グラブ、着地をしてみることにした。
キッカー並んで、他の人たちが飛ぶのを見ながら、トン、トン、トンがちょうど抜けから着地の時間に合うくらいのリズムを見つけた。
それで、実際にトン、トン、トン、と実際に口に出しながら飛んでみたら、苦手なミュートグラブをけっこうガッツリつかめた。

そういえば、普通のスポーツだったら、基本を習うときに、イチ、ニ、サン、みたいなリズムは最初に習うことだよなー。スノーボードの場合は、自己流でやる人が多いから、こういう基本みたいなところがけっこう知られていなくておろそかになる。そこが逆に発見の喜びがあっていいんだけど。

グラブに関しては、抜け、グラブ、着地のリズムを作ってあげることが大事なことだと思った。


●一度に一つのことに集中する

複数のことを同時にやろうとすると、どれも中途半端になってしまう。ぼくがグラブをできなかったのは、抜けのときにグラブのこと考えていたからだ。だから、どちらもいまいちになっていた。

全体としては複数のことをこなすとしても、瞬間瞬間に、集中する対象を1つだけ選ばなきゃいけない。たとえばジャンプは、抜けとグラブと着地で構成されているけど、それ全部をうまくやろうと一緒くたに考えたら、どれもうまくできない。抜けの時は抜けだけに、グラブのときはグラブだけに集中しなきゃ、全体としてのジャンプはうまくいかない。

仕事でも、マルチタスクをこなせる人というのは、実際にはマルチタスクを同時にやっているわけではないと思う。一度にできるのは一つのことだけだ。ただ彼らは切り替えが上手なんだろう。

仕事だと、たとえば15分とか30分レベルでの切り替えになる。スノーボードのジャンプの場合は、コンマ何秒レベルでの切り替えになる。

集中が途切れた状態というのは、心が「今ここ」を離れて、過去とか未来にいってしまった状態だ。だいぶ先のこととかでなくても、コンマ何秒先のことでも、未来は未来だ。抜けのタイミングで、0.5秒後に心配すべきグラブのことを心配しているということは、集中がとぎれた状態ということになる。

「今ここ」に集中しろといわれても、いまいちやり方が分からない。なんにしても、自動的にできる仕組みがあるにこしたことはない。「リズム」というのは、集中のためのひとつの仕組みとして結構いいかもな、と思った。
 
# by taroshin_1 | 2007-04-15 14:42 | スノーボード
スノーボードをやっていると、ついついひとつのことばかりやってしまったりする。キッカーやり始めたらキッカーばかりとか、レギュラーでショートターンをやり始めたらそればかりになってしまったりする。

だから1つのことをはじめると他のことが下手になる。レギュラーやったらフェイキーが下手になる。もぐらたたきのような状態になってしまう。

去年マイク・マクマナスの『ソース』という本を読んだ。自分がワクワクすることをやれ、ということを言っている本なのだが、面白かったのは「同時実行」という考え方だった。

自分が本当にやりたい1つのことを見つけなければいけない、という考え方がある。ぼくもそういうふうに考えていた。本当にやりたいことが見つからないという焦りを感じていた。

『ソース』が言うには、人間は複雑で多面的なものなのだから、やりたいことを1つに絞れるはずがない。やりたいことはいくつもあるはずで、それを全部やったほうがいい。全部をやるのは時間的にムリに感じられるが、全部をやろうとすることで時間が濃くなり、全部できるようになるんだということだった。

まあ、実際に全部できるかどうは別として、やりたいことを1つに絞る必要はない、ということを知れたのは大きかった。ちょっと心が楽になった。

このことは、どんな仕事をするか、何を趣味にするか、というような大きな枠組みの話だけでなく、スノーボードなど1つのスポーツの中でも言えることだと思う。

グラトリだ、キッカーだ、ボックスだ、レギュラーのショートターンだ、ロングターンだ、フェイキーだ、全部をやる。一日の中で、一本のすべりの中でどんどん切り替えて色々やる。ひとつのことに割く時間が短くなる分、一瞬一瞬を大切にする。一つ一つにたいする集中力がアップする。

そんな感じで、いろいろやろうかなーと思ったりしている。

「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」という状態でいつもいられればいいな。
 
# by taroshin_1 | 2007-04-05 01:40 | 考えたこと
この前の土曜は3週間ぶりのスノーボード。
3900円のバスツアーでたんばらに行った。シーズンの開始直後と終了直前は、バスツアーが異様に安いので毎年利用している。

痛めた腰は残念ながらまだ直らない。意外と時間がかかるみたいだ。
でもまあ、どうにか滑れそうな程度の痛みになってきた。


●フェイキー

思い切ったことができないので、久しぶりにフェイキーの練習をした。今シーズンはショートターンとかをやろうとするあまり、フェイキーをあまりやっていなかった。やっぱり下手になっていたが、レギュラーで色々試してきたおかげで、気づけたこともあった。

フェイキーだと、全体的に前足に乗ってしまっているのがわかった。フェイキーだとけっこうズレの多いターンになりがちなのは、これが原因だった。ターンの後半後ろ足に乗ることを意識したら、多少切れる感じになった。


●ストレートジャンプ

前回こけて腰を悪化させてしまったので、今回は絶対にこけられなかった。キッカーを飛ぶかどうか迷ったが、1回試してストレートジャンプならいけそうだったので、何本か飛んだ。

今回は自分の「抜け」を見たいと思い、真横から動画をとってもらった。自分のストレートジャンプを横から見る機会がなかったのだが、動画で見てみると、オーリーをかけるタイミングが自分で思っていたよりも全然早かった。

なので、リップぎりぎりでオーリーをかけるように意識してみたら、かなり「ふわり」という感じになった。時々同じキッカー飛んでいるのに高さがぜんぜん違う人とかいる。そういう人はたぶんリップぎりぎりでオーリーをかけているんだろう。今日はそれが分かっただけでよかった。
 
# by taroshin_1 | 2007-04-05 01:37 | スノーボード