先週、苗場スキー場での出来事だ。
その日は、友達と二人で滑っていた。
ぼくは真新しいビデオカメラと一緒だった。まだ一回だけしか使ったことのない、ぼくのビデオカメラ。最新型で小さいので、ウェアーのポケットに入れて滑っても問題ないのだ。
その日は泊まりだったので、夜は酒でも飲みながら自分たちを撮り合った動画でも見よう、と友達と話していた。
ぼくは、自分の滑りや飛びを友達に撮ってもらいたかったので、まずは「お前の滑り、撮ってやるよ」と友達を撮影した。
友達「撮れた?」
ぼく「バッチリ撮れたよ!」
ビデオカメラを向けられると、みんなお母さんに自分を見てもらう子供に戻る。
「ねえ、お母さん、今のぼく見た?」
「見てたわよ。」
友達のすべりを2回ほど撮影した後、次はぼくが撮ってもらう番だった。
リフトの上で、「今度はおれの滑りとってくれない? ビデオカメラの使い方教えるから。」
そう言いながら、ビデオカメラを取り出そうとウェアーのポケットに手を伸ばした。
いやな予感。ポケットのチャックが開いている。
中に手を入れる。
ない。
ビデオカメラがない。
いくらまさぐっても、
ない。
「使い方教えるから。。」
最後に発した言葉がむなしく響いた。
「ない! ビデオカメラがない!!!」
ポケットのチャックが開きっぱなしになっていたので、かっこつけてグラトリをした時に、遠心力で飛び出したのかもしれない。
落とした可能性のある場所は、そんなにない。すぐに探しに行きたかった。
でもぼくらは長いリフトの上だった。ビデオカメラからどんどん遠くに、ぼくらは連れて行かれた。
その後は、二人で手分けしながら、ゲレンデにビデオカメラを求めて探し回った。
ビデオカメラは結局見つからなかった。
落し物としても届かなかった。
友達がぼくをなぐさめて、「まあ、これを機に最新型を買えばいいじゃん。」と言ってくれた。だけど、なくしたビデオカメラこそが最新型だった。
なんでこんなことになってしまったのか。
それは、ぼくがウェアーのチャックを閉めなかったからだ。今までも、デジカメをポケットに入れていて、チャックが開きっぱなしだったということは時々あった。でも、実際にモノをなくすという惨事には至らなかった。
チャックが開きっぱなしの時があるかぎり、いつか何かをなくすのは時間の問題だった。それが、偶然、買ったばかりのビデオカメラに起きてしまったということだ。
問題は、なくしたビデオカメラをもう一度買うかどうかということだ。
ぼくは、すでに自分を、ビデオカメラを持つ人間と見なしてしまった。ビデオカメラを持っているということが、ぼくのアイデンティティに組み込まれてしまった!
ビデオカメラでスノーボードを撮ったり、日常生活を切り取ったり、いろいろしたいことがあったから買ったのだ。だから、ビデオカメラのない生活は、自分を構成しているパズルのピースが、1つ失われたまま生きることだ!
ビデオカメラをもう一度買うのはお金がかかる。大きな出費だ。でも、一生というスパンで考えると、たいした金額じゃないのではないか。それで、失われた自分を取り戻せるのならば、安い買い物ではないか。
次は絶対になくさない。絶対にチャックを閉める。でも、自分はチャックは閉め忘れるということを前提に考える。チャックを閉め忘れても落とさない、そういう仕組みを考える。もう君を失わない。
「いま、買いにゆきます」